大野村から町制導入後の大野町、そして現在の大野城市に至るまで、福岡市からの人口流入が町の繁栄に繋がってきました。1940年代は福岡市民の疎開地として、1950年代からは復興する福岡地域のベッドタウンの役割を果たしていくことになります。この傾向は現在でも続いており、右肩上りで人口が増加していることで知られ、人口増加率も全国で上位100位に入るほどです。交通網は福岡市のベッドタウンと筑紫地域の全ての市と隣接していることから充実しています。中央をJR鹿児島本線、西鉄天神大牟田線が走り、バス網も西鉄バスを中心に拡充されています。歴史的な観点で見れば白村江の戦いで日本・百済軍の敗走後、日本の要衛地となる大宰府の守護を図り、この地に天智天皇の命で大野城、水城が築かれ、その形跡を今もなお見ることが可能です。また市政施行時には大野市という市名が既に福井県に存在するために、旧大野町の象徴的な存在であった大野城から名前が導入された経緯があり、1400年近く経った今もなお市を象徴する史跡だと言えるでしょう。