三河地方の市では、高浜市に次いで面積が小さく、市の北部には逢妻川が流れ、南部には猿渡川が流れています。112年に景行天皇によって創建された知立神社の門前町として発展しました。また平安末期になると重原荘が成立し、広大な荘園を地頭の重原氏や、大仏氏、二階堂氏が治めました。そして戦国時代には、知立神社の神主の氷見氏が知立城を居城としていました。江戸時代に入ると、東海道の日本橋から数えて39番目の宿場町池鯉鮒宿として整備されました。昭和54年(1970年)には、碧海郡知立町が市制を施行して知立市になりました。現在では、名古屋市や岡崎市のベッドタウンとしても知られ、2016年からは知立駅の大規模な再開発が行われています。駅前には、超高層マンションなどもあります。無量壽寺は、慶雲元年(704年)に創建されました。そして文化9年(1812年)に、方巌売茶翁によって再興され、杜若庭園も造られました。境内には八橋史跡保存館があり、県指定の文化財など数十点の文化財が保存されています。